中華民国は中華大陸(満洲を除く)、朝鮮半島北部、モンゴル南部を領有する民主国家である。
国花 | |
国歌 | |
標語 | 民主 |
首都 | 北京 |
最大都市 | 上海特別区 |
国家元首 | 永南葵総統 |
首相 | 畔怜謁 |
行政府 | 内閣 |
立法府 | 国家議会 |
司法府 | 人民裁判所、国家憲法裁判所 |
住民 †
多民族国家だが、漢族が9割を占める。
公用語は中国語だが、朝鮮半島に於いては朝鮮語、日本語が地方公用語として地方行政、地域的経済活動に於いては公用語と同一の取り扱いを認められている。
歴史 †
1944年に現在の領域の大半を領有していた「中華民国」が枢軸国の攻撃によって壊滅、降伏した。当時の資料は大半が枢軸国に引き渡され、焼却あるいは世界のどこかに封印されたと考えられている。(住民の生活状況などを記した資料は資料回収の直前に地方部へ移送され現在は、北京の国立資料館が所蔵)その後はナチスによる恐怖政治が敷かれ、我が国にも北京、上海、香港、朝鮮半島ではソウル、釜山にも複数の強制収容所が設けられ無差別に殺戮された。1953年に農村の青年指導者が立ち上がり2000万人で強制収容所を襲撃したものの数日で鎮圧され、指導者等は当然のごとく強制収容所送致となっている。後に「建国の父」と呼称されるようになる永南葵総統は1960年前後に地方の農村(四川省の地方部と思われる)で出生し、農場主となるべく父親の下日夜農業に励んでいたが、数年の後に父親が強制収容所送りとなっている。この出来事をきっかけに永南葵は勉学に励むことを決意し、山林地帯で秘密裏に開設されていた教育センターで大学教育まで受けた。非常に優秀であり、一年足らずで小学校の課程を修了したという。大学教育として「近代政治史」を学んだ後に秘密地下結社「独立委員会」を結成、リーダー格として密かに支持者を増やし1980年代には1600万人に達した。1992年にナチスがその動きを把握し、弾圧。末端メンバーを中心に数百万人が政治犯収容所送致となっている。そして、ワシントンでの暴動を発端とする第三次世界大戦と共に「独立委員会」は中華民国の建国を宣言、朝鮮半島支部、南モンゴル支部の領域と本土を領土として海外に発表した。
文化 †
政治 †
全国を550の区分に分け、その区分を選挙区に設定。一選挙区から一名の国家議会議員を選出することができる。また、議員の互選により首相、閣僚が任命されるという間接民主制となっている。一院制。首相は「内政の実務的指導者」であり平常時内政、外交、軍事を総理する。国軍最高司令官代理も兼任する。
総統は国家元首であり非常時、戦時は内政、外交、軍事の一切を代表して指揮する。国軍最高司令官。平常時は首相に全権限を委任しているという形式を取っているが、閣僚としての地位も兼任していることからしばしば内閣の方針に介入する。総統は成人している全国民の選挙によって選ばれる。五年毎に選挙を行う。本人の辞意表明以外に退任させる手段は存在しない。
大総統は総統として顕著な功績を残しそれが国家議会で全会一致で承認された中華民国籍の国民のみに与えられる称号であり基本的に権限は有さない。
外交 †
国交樹立国(順不同) (ターン236現在)
国名 | 備考 |
大英帝国 | 在外邦人が最も多い国。 |
自由フランス=ケベック共和国 | 大使級外交関係開設。 |
アメリカ諸州同盟 | 大使級外交関係開設。 |
南西アフリカ・ドイツ連邦共和国 | 大使級外交関係開設。 |